当初は人生をひとつの交響曲で、と思っていたが

 
私は当社、株式会社メンターリング・アソシエイツの創業メンバーに加わり今日に至っている。オーストラリアのメルボルンに1985年から在住、即座にファーストネームで呼びあう現地の習慣から、”トム”と呼んでもらっている。

私は交響曲が大好きなので、自分の人生を4つの楽章からできている交響曲になぞらえてみた。 当初は人生をひとつの交響曲で、と思っていた。会社中心の人生はリストラを契機に、さらにステージ3のガンで考えが変わった。
 

死、以外のHAVE TOはない。新たな交響曲第2番

 
きっかけは現在のメンターリングの一つの基礎となっているルータイスとの接点だった。人間は一つのHAVE TOしかない、それは”死”。それ以外のHAVE TO はない、を実感として学んだ。 

今新たな交響曲、第2番を作ろう!
 
健康を取り戻し、自分のゴールを達成したい。とても豊かに過ごしているというイメージを家族は楽観的すぎると言う。しかし、「がん」だと落ち込み、ネガティブな時間を過ごしても好転はしないし、ゴールからも遠ざかる。ポジティブなセルフトーク、明確な未来志向が自らの道を切り開くものと思う。 

盛りたくさんすぎる。めちゃくちゃだ、年齢を考えろ、何を今更、後何年生きるつもりだと笑われる。 しかし、時間は限りなく有限であり、今というひとときがとても貴重だから、毎秒毎秒を意識し、一つ一つの事に達成感を味わう事こそが人生を楽しくする最大の秘訣であり、健康への特効薬である。まさにメンターリングの極意だ。
 
ステージ3からの生還、「生きろ」と言われているようだから、少なくともあと30年は生きるんだと友人と歓談した。そのような私の人生、一端をご紹介する。

交響曲第1番 『掻き巡り(かきめぐり』洗濯機の中でぐるぐるかき回せれて洗われているような感じ。
 

「第1楽章」:学生時代

 
22歳で社会に出るまで学生時代を謳歌した。将来に夢膨らませて大学を選択した結果、第3希望に入ったが、選択した職業への反対に屈するという最初の挫折を味わった。しかし幼少期から海外志向があり、その希望に添った会社に就職することができた。そして唯一ともいえる親友もこの時期に得ることができた。

幼児期より母の影響で英語に接していたが、中学の最初の授業で”発音が違う”という教師の一言、しかもその教師の見事なまでのジャパニーズイングリッシュにすっかりやる気をなくしてしまった。実際自分の発音がどうだったか、確かに先生の指摘の通り、何かが違っていたのだろう。しかしそれ以来、英語の教科書を触れるのも嫌になってしまったのも事実だ。一度口から出してしまった言葉はもう戻す事は出来ない、その教訓と、赤点を繰り返しながらも、FENを聞き、英語喫茶に通うなど、”好きな事を続ける・好きな事は続ける事ができる”が今の自分の基礎になっていると思う。
 

「第2楽章」:日本での社会人(会社人間)時代

 
会社では通信設備の建設プロジェクトに加わり世界各地を訪問した。契約交渉、経理・会計、プロジェクト・技術管理、各種折衝等仕事は多岐にわたった。最初の仕事で与えられた分厚い英語の仕様書は1日奮闘しても1ページも理解できなかったが、周りは英語で業務をこなしている。焦りも感じながら、業務に必要な知識を仕事をしながら学ぶ毎日だった。

最初の出張は南アフリカ共和国、当時まだアパルトハイトという人種差別制度があり戦々恐々、初めての飛行機に乗った。忘れもしないBOAC (今の英国航空)、飛行機の中で水を頼む事にも悪戦苦闘した。しかし、伝えようという気持ち、わかろうとする気持ちを持ち続ける事が大事なんだと学んだ。赤ちゃんは文法を理解して言葉を覚えていくわけではないのだから。

出張期間は数週間から数年にわたる事もあり、在籍期間は10年ほどであったが出張期間の方が長かった。 出張から戻り、片道2時間ほどの通勤は、混雑を避けるために早朝に家を出る。 本を読んだり、吊り下がり広告の翻訳を試したりと、楽しくもあった。 もっとも帰宅は遅い電車になる。シラフで乗るとときの酒臭さはなんとかならないものかと思うが、まったく勝手なもの、自分が飲んでいるときには気にならなかった。

そして、カナダかオーストラリアへの移住を考えていた時に、オーストラリアに出張することとなり、決して定住計画を立てた。 
 

「第3楽章」:オーストラリアでの社会人(会社人間)時代ーリストラ

 
オーストラリアでは、幸いに日本での仕事関係を継続できた。生き甲斐は “世界各地に通信設備を建設し、世界の人々を繋ぐ“ことだった。

オーストラリアは英国人、イタリア人、ギリシャ人、日本人、中国人、などなど国籍や、肌の色、宗教や文化・教育レベルなどが混じり合う、2千万人強の多民族国家である。これは、70億人を超える世界の縮図ともいえる。ここで私は、一人一人はみな違うのだと受け入れるところから、理解の一歩が始まるのだと体感した。アジアをはじめ世界の各地を訪れ、仕事を超えた友人のネットワークを築く事ができた。私の最大の財産である。

しかし、事業改革の中で、何の為の改革なのかと、戦略(ゴール)が明確に見えない事業方針に対して、行動規範を考え続けたが、自らもリストラされた。

リストラで、会社から”あなたは不要”と言われたわけだが、逆に ”自分がやらなくてはならない” という使命感や、”社会に貢献している”という自負、思い込みの中で仕事に没頭し、飛び回っていたにすぎないのではないか? 無意識に、選択肢をシャットアウトし、自己陶酔していたのでは自分を省み、次の一手を決めた。
 

「第4楽章」:交響曲の仕上げ

 
”会社のためではなく自分のために” とリストラを契機に第4楽章を書き上げようと思った矢先、腫瘍が見つかった。ステージ3、悪性とのことで手術をしても術後5年の生存率は70%であるとの宣告に不思議と動揺はしなかったものの、今まで健康だけが取り柄、医者にかかったことがないのだと自慢してきのだから大事件であった。

自分が、「がん」ななるとは想定外、ともかく、「がん」について学習した。「がん」は単にがん細胞による腫瘍ではなく生活習慣病であり、肉食中心の食生活を改善、暴飲をしない、生活にリズムをもたせ、楽しく、笑いを絶やさないことが特効薬であると学んだ。

悪性腫瘍は外科治療で摘出しなければならない。しかし、37兆個からの細胞でできている人間の中に、いろんな性格の細胞が存在して当たり前、たとえそれが悪性であっても、自己治癒力があれば仲良く共存も可能ではないか? したがって、がん細胞をやっつけるのではなく共存し、生命を維持し人生の目標が達成できるのであれば、それでもいいはず。ある意味、副作用を伴う高額な薬付けの近代医療への警鐘でもあり、様々な“がん”が存在し、自然治癒力を著しく破壊している今の社会そのものだと思った。

「病は気から」という。薬も効くと信じれば効くし、疑いを持てば効力は低減するだろうと私は思う。

さてはともかく、目先の問題解決が最優先と手術を受けた。第4楽章を5年という限られた、しかも不確定な時間内で書き上げるのか? 人生の転機を交響曲に例えたが、果たして第4楽章で終わっていいのかと疑問を感じていた。その矢先、術後の経緯より再手術が必要となった。この手術の回復を期に最終楽章とすることとした。
 

交響曲第2番「心立ち」

 
「立つ」の意味は、起き上がる、低い位置から高く登る、その場を離れる、起つ、戸などを閉める、立場・役目、度合いが強くなる、新しい季節が始まる、事物が新たになる、湧く状態、感情が高ぶる、技能などが優れる、好ましい形で成り立つ、ある場所を占める、などがある。私は感受性を豊かにあらゆるものに興味を抱き、たくさんの事を学び、体験し、できるだけたくさんの人との接点をつなぎ、自分を描き立たせる、という思いからこの造語を作った。

新たな交響曲のテーマも「心立ち」である。  

第1楽章は今まさに創作中だ。

当社、メンターリングの創業に関わり、メンターリングの理論を探求し、皆様に普及していく事業と並行して、IT関連の勉強を続け、昨年はセキュリティー監査の資格を取得した。インターネットという道具を最大限活用し、各地に点在する点と点を結びたい、事業経営にも活かしたいという思いからである。私の財産である人のネットワークを活かし、アジアの若者たちに高等教育の場を作るプロジェクトも始めた。メンターリングを基礎に、人と人をつなぐ、沢山の日本のファンを作る事をゴールとして創意工夫の毎日だ。

失敗もある。私はそれも又経験と思い、感謝、感謝の毎日である。そして30年後が楽しみである。 

さてそんな私の性格は、温厚で優しい、でもおせっかいで独りよがり。
 
私の”好き”は 
モットー:人が嫌がる事をしない! 
好きな言葉:創意工夫、Boys, be ambitious (like this old man)
好きな事:料理、音楽(マーチングバンド、ウィンナーワルツ、寺井尚子)、社交ダンス、スキー、飛行機
好きな食物:お寿司、カレーパン(お酒)
好きな国:日本、でも世界中全ての国
好きな人→尊敬:父(他界したが私のメンター)

須田知明 (Tom Suda)
 
画像の説明