『咲顔の地球を子どもたちに』

 
バブル崩壊の直前に社会人になりました。

酒を食らい踊りまくる夜の街。
ひたひたと忍び寄る崩壊の影。

登り坂と下り坂が交差する時代を経験したぼくらは、今、ゆっくりと坂を下りながら落ち着くところを探しています。

ぼくの父親は戦争で焼き出された世代です。新聞配達をしながら夜間高校に通い
たたき上げのエンジニアとして働きに働き、弟とぼくを育てました。
 

ぼくは、『渡す』ということを、いつも考えてきました。

 
そんな父親も、今は、あらゆることに気力がなくなり,
「後を頼む」と、ぼくの顔を見ればそれだけを言って、窓の外を見ています。戦後70年を越えて、古き日本が今、滅びようとしています。

自然と人とモノがつながりあう落ち着いた風土と常に新しく、未来を創り出すエネルギーを併せ持つ持続可能な社会を創ることが、ぼくらの世代の仕事だと感じます。

ぼくは、『渡す』ということを、いつも考えてきました。社会人最初の仕事は経営コンサルタント。大規模店舗の出店ラッシュに目を白黒させながら、お客様と家族、従業員のために踏ん張り続ける小売店の社長。品添えを見直し、売り場を整え、チラシづくりをする。
そんな、徹夜の毎日でした。
 
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27歳の時、高校時代の親友が三重県の県会議員選挙に挑戦し、彼から相談を受けたぼくは、「やれよ」と背中を押しました。サラリーマンを辞め、選挙事務局長として全責任を引き受けました。僅差で敗れ、彼を次に当選させるために、選挙を学ぼうと国会議員の門を敲き、秘書になりました。
 

政治家の秘書を14年間経験

 
それから14年間。知名度やお金のある現職に、竹槍担いだ新人が挑むという草の根選挙の参謀を続け、たくさんの新人候補と選挙を戦いました。

39歳で、自ら三重県議会議員選挙に出ました。

組織をつくらず、ひとりひとりに想いを伝えて一票ずつ頂く。普通のひとりひとりの声を積み上げて政治をつくる。立場の弱い人、声の小さい人の声をつなげる。そう決めての出馬でしたが、当選には届きませんでした。 経営者の想い政治を志す人の想い 人々の想いを渡す。

そう志しましたが、未熟でした。
 
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いくつかの挫折を経た末にたどり着いたのが、「想いを渡す技術=メンターリングです。 政治を離れた後、自動車部品製造業に勤めました。平均年齢が若くまだ創業20年の会社ですが、まずは100年続く企業にしたい、という想いで、

その基盤づくりをしています。 地域では、福祉、人権教育、まちづくり活動を通じて、人々がフラットにありのままに話し合えるまちづくりを呼びかけてきました。
 
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そして、米国の実績ある人材教育手法(コーチング)を学び、 子どもたちと子どもに関わる大人たちに伝えて全国を飛び回ってきました。

そこで出会った仲間たちと一緒に、西洋的手法を日本の現場で解きほぐし日本の風土・文化・精神性をもって再統合したのがメンターリングです。
 

メンターリングは科学であり、再現性があります。

 
メンターリングとは人やモノの本質に触れ、その可能性を伸ばすこと。 自然や人やモノと共生すること。喜び合い、生かし合いながら循環すること。志をつなぐこと。持続可能な社会をつくること。

メンターリングは科学であり、再現性があります。だから、誰でも身に付けることができるシンプルな方法です。 人、モノ、自然が咲顔(えがお)でつながる地球を未来の子どもたちに渡すためにぼくは、メンターリングを伝えていきます。
 
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株式会社メンターリング・アソシエイツ
株式会社フジ技研(自動車部品試作・生産支援)経理部
一般社団法人 志教育プロジェクト 公認講師
慶応義塾大学 法学部政治学科 卒
経営コンサルタント (株)船井総合研究所 勤務
草の根選挙の選挙参謀として12年間(国会議員 秘書)
米国人材教育プログラムの普及とファシリテーター教育に当たる
地域の社会福祉協議会会長 人権教育推進協議会 会長を歴任